1970年に日米安全保障条約締結阻止を叫んで行われた政治闘争で、東京大学の安田講堂を舞台にして学生と機動隊の激しい攻防が展開されたのです。
このときは安保問題に限らず、学問とはなんなのか、権力とはなんなのか、権威とはなんなのかというようなことまで盛んに議論され、大学教授が教壇から引きずり下ろされるなどの問題も多く起こりました。
学生が大学教授に、「いったいあんたの研究はだれのためにやっているんだ」とつめ寄ると、教授はおどおどして「自分の趣味です」などと答え、「じゃあ子供の遊びと同じじゃないか」と笑いものになり、象牙の塔の空虚さが露呈されたり、大学教授の権威などというものはなにほどのものでもないと相対化されたりしたものでした。
そうやって権威・権力を相対化した学生たちが英雄的だったのかというとまったくそんなことはなり、警察権力が入っているとさっさと逃げ出して就職活動に走ったり、自己保身したりして人間の業をあらわにしてみせたものでした。
しかし、そこに激しいぶつかり合いと議論・討論があったことは事実です。
激しいぶつかり合いのなかで、人間の醜さや美しさに触れることもありました。
少なくとも、当時の学生たちには傷つくことを恐れるといった後ろ向きの態度はありませんでした。
ところが、この70年安保を境目にして社会は急激に個人主義に傾いていき、人々はぶつかり合いを避けて傷つくことから極端に身を守るように変化していったように思います。
そしてみんながやさしく、「いい人」になっていったのです。
『僕って何』という小説がはやりましたが、そんなふうに、みんながやさしくなった代わりにアイデンティティを失っていったともいえます。
そつがないとみえる反面、なにか霞のような存在の人々が増えていったのです。
アンケートによると、いまの若者たち自身、自分がわからないと言っているのです。
つまりアイデンティティがないということですが、その率は40%にも及んでいます。
40%といえばほとんど半分近くです。
半分近くの人間が自分はどういう人間なのかはっきりしないといっているのですからこれは驚くべき数値といえます。
「これはおれの仕事、おれの領域だ。
ここだけは譲れない」というものがなくなってきているのです。
この世代の人たちが金科玉条としているのは、家庭を作ってそれを守ることです。
会社や仕事に生きがいを求めるのではなり、家族相互の愛情で幸せな家庭を作り、そこに生きがいを求めるんだということになります。
そうすると、彼らこそ前述の「お父さんは家庭に帰れ」という呼びかけに応える理想の父になりうるのではないかと思われますが、そうは簡単にいかないようです。
というのは、彼らはやさしすぎるのです。
ぶつかり合いを知らず、傷つかず、傷つけないように育ってきている彼らは、子供にどちらがお父さんでどちらがお母さんなのかわからないような対応をすることになります。
つまり、両者とも共通に愛情を注ぎ、しかることができないのです。
お父さんとお母さんの区別がないから、逆にお母さんがしかる役目を負わなければならなかったりします。
やさしい世代も、行き過ぎるとやはり家族のなかで存在感がないということになります。
それもやはり、だれに対しても「いい人」であろうとする態度の発露だろうと思います。
親自身、自分が傷つけられたくないし人を傷つけたくもないということでぶつかり合いを避け、やさしくやさしく生きてきた世代なのです。
その生き方が子育てにも反映されてしまうわけです。
彼らは子供に対しても、傷つけないように腰を引いて接します。
そのため、子供はますますひ弱になるという悪循環に陥っているのが現代のような気がします。
いわば、ひ弱さを再生産しているわけです。
衝突やケガのない人生というのは、人間のスケールを小さくしてしまいます。
いつも相手の言葉や顔色をうかがいながら行動したり発言するわけですから、周りからみればじゃまにならないいいやつかもしれないが、本人は小さくこぢんまりとまとまらざるを得ないということになってしまいます。
しかし、それは本人が外に向かったときの話です。
逆にカメラをその人の心の内側に向けたとき、実は、その幻想の世界では、「ほんとうは自分はすごいんだ」という自己愛が大きく渦巻いているのです。
現実のなかでは自分はちっぽけな存在でしかないということは十分自覚しているのですが、幼いときから母親によって与えられた自己幻想、「おまえはすごい能力を持っているんだよ。
特別な子なんだよ」というメッセージが心のなかにしっか先ほど触れました70年安保以前の若者たちは、学校で教授たちとぶつかり合い、学生同士で遠慮容赦のない討論をし、家では自分の親ととことん議論をするという経験を持っていますから、逆に現実というものをいやというほど知っています。
自分に特殊な能力がある、自分は特別だなどと思えるはずもありません。
だから、彼らは粗雑でデリカシーに欠けるかもしれませんが、アイデンティティだけはしっかりしています。
自分はこういう人間であり'このように生きているんだというものをしっかりと持っているのです。
彼らに比べて、それ以後の世代は他人との衝突を知りませんから、外に向かえばアイデンティティはないし、内に向かえばナルシシズムが肥大化しているということができます。
彼らの自我は外に向かっては無限小だし、内に向かっては無限大なのです。
そして、その矛盾を抱え持っているといえるでしょう。
外に行けば他人におびえているから彼らの自我は無限小に縮まるし、家に帰れば家族に完全防御されているから無限大に広がる。
そしてその無限小と無限大をインテグレート、つまり統合するのではなり、両方を容認したまま交差して生きているわけです。
だから、173第四章傷つきたくない「いい子」の危機彼らは自我が肥大しているといえばその通りだし、こぢんまりとまとまっているというのもその通りだといえます。
いまの若いものは大きな夢を持たなくなっているといわれればそれもあたりだし、逆に大きなことばかり言っていて実行が伴わないじゃないかといわれればそれもあたっているのです。
70年安保以後に育った人々は、現実の世界ではなんの力も持っていないことは自分で十分承知しています。
ところが、おまえは特別な子だという母親からのメッセージが記憶のなかに残っていますから、そこを刺激されると突然新興宗教に走ったりしやすい構造を持っています。
いまは新興宗教といわず、新・新宗教というのでしょうか。
ともかく、みんなでひとつの教理を信じて修行し、現実(の自分)を越えようという集団です。
特に新・新宗教が持っているオカルト的な部分は、彼らの肥大化した自己愛を満足させる機能を果たすということができるでしょう。
他人とは違う特別な自分が、特別な力を発揮できるかもしれない場だと思い込めるからです。
それともうひとつ、彼らは物質的に恵まれ、なんでもそろっている時代に生まれ育ちました。
だから、もうものを求めたり金を追求したりすることに関心はありません。

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